ひょうすけの写真俳句

アクセスカウンタ

zoom RSS 蟻子祭りB(俳句会)

<<   作成日時 : 2012/05/03 14:12   >>

ナイス ブログ気持玉 48 / トラックバック 1 / コメント 33

4月8日、いよいよ額田町樫山での「蟻子祭りを詠む」俳句会の日です。私達の俳句会からはTさんと私が参加しました。午前中祭りを見て俳句会は午後1時からです。集まった俳人は約70名、それも殆ど同人以上の凄い人達で私のような素人(会員)は極くわずかです。受付を済ませて早速須賀神社に向かいました。

須賀神社です。スサノオノミコトが祀ってあります。ここからヒルメムチノミコト(天照大神=ヒミコ)の祀ってある神明宮まで4台の山車が進むのです。いうならば妻問婚?の行事なんでしょうね。
拡大してご覧ください。旗の下に赤いものがぶら下がっています。サルボボです。Tさんはこれを詠んでなんと特選を取りました。凄い!
画像

                         春の風旗のサルボボ背をたたく  宣宏

Tさんのこの句が特選になったのに、サルボボ?? サルボボって何? 恥ずかしながら私は知りませんでした。早速調べてみたらお守りの人形でした。旗を拡げるために細い糸で旗からぶら下げてあったのです。

飛騨高山のサルボボです。残念ながらここの神社のサルボボはわかりません。
画像


少子化で小学校が閉校になったというのに、ハッピを着た子供達が続々集まってきました。皆楽しそうに飛び回っています。 いやぁー嬉しい。
画像

                             春の宮はっぴ姿の子ら集う

本殿です。日本の旗って美しいですね。拡大してご覧ください。子供達も皆本殿をみています。後で配られる投げ餅がもう供えられています。おやっ?Tさんはもう1句作ったようです。
画像

                             本殿に日ノ丸二つ春祭り

何と、Tさんのもう1句も特選になりました。3句中2句特選とは凄い!
画像

                         春日射す子の背に踊る「祭」の字  宣宏

いよいよはじまりました。神主さんを先頭に名士が続いて降りてきて、あらためてとりいの下から本殿に向って登ってくるのです。
画像


巫女さん達です。小学校の高学年の娘さん達でしょうね。
画像


境内には山車が4台待機しています。
画像


近寄ってじっくり観察しました。拡大してご覧ください。何と「怪力小太郎」の彫り物がしてあります。
画像

                            白鳳に勝ちしや小太郎春の夢

子供達も山車を曳きたいのでしょう。
画像


いよいよ山車が動くようです。曳き手は心なしか年寄り?ばかり。
画像

                           山車曳くは老骨ばかり過疎の村

                              
方向転換し出発です。ギシギシというのは山車か曳く人の骨か?
画像

                          「ギシギシ」と山車曳く老いの骨きしむ

降り坂は危険です。他の山車の人達も応援して山車の暴走を防ぐのでしょう。
画像


4台目が道に降りて
画像


最後はお神輿です。
画像


これで全部揃いました。出発前の整列です。
画像


屋台で笛と太鼓がなり、いよいよ出発です。
画像


「今月今日」、面白いですね。おや、曳き手に子供や女性もいます。矢張り人手不足なんですね。
画像

                            山あいを今月今日の山車行けり

蟻の行列のように春山の間を静々と山車は進みます。
画像

                             静々と4台の山車の笛太鼓

花車は神明宮の近くで合流するのでしょう。そこまで見たかったのですが俳句会が始まるのでここで終わりにしました。
画像

                             妻問いの行事なりしや蟻子祭

俳句は一人3句提出、総計200句程ですが、一読し、毎度のことながらひょうすけは劣等感の極致に達しました。でも同行のTさんは特選2句。我らが俳句会の面目を保ってくれました。Tさん、特選で自分の句を読み上げられても自分の句と気付かず、3回程読まれてやっと名乗る始末。多分彼も劣等感にさいなまれていたのでしょうね。



ここからはひょうすけの妄想、独断と偏見の記事です。

その前に少し歴史を語ります。天智天皇と天武天皇は兄弟と言われています。しかし調べてみると兄より弟の天武の方が年上となり、また天武の生まれは実は不明、謎となっています。さらに天智の最後は行方不明で実は天武に暗殺されたのだという説もあります。額田女王は大海人皇子の恋人で天武の最初の妻でした。それから天智天皇には大田皇女と鵜之讃良(うのさらら)皇女(持統天皇)の二人の娘がありましたが、天智天皇は何と二人の皇女と天武の妻の額田女王とを交換してしまいます。後年豊臣秀吉は母を徳川家康に送り家康は秀頼の妻に千姫を送りますが、言うならばお互いが人質だったのでしょうね。皇女に生まれながら1人の人妻と交換された大田皇女と持統天皇の屈辱感は如何ばかりか、後に持統天皇は直系以外の天武天皇の皇子を皆殺してしまいます。更に50代桓武天皇は40代天武天皇ばかりか持統天皇〜48代称徳天皇までの天武系?天皇を菩提寺(専涌寺)の皇統譜から全て外してしまいます。
一方額田女王は天智天皇の妻になりますが、先夫の大海人皇子が余程恋しかったのでしょう。蒲生野の御狩で
「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」という名歌を詠います。「君」は大海人皇子、野守は天智天皇です。

壬申の乱の時天武天皇に味方したのは尾張氏をはじめとする東海地方の出雲系の豪族です。大海人の乳母は愛知県の海部郡の女性、天智天皇は天照系=ヒミコの九州系ですので兄弟どころかもともと別系統の豪族だったのでしょう。


持統天皇は亡くなる直前、(702年)三河湾の奥の安礼の崎に上って山越えをします。何故でしょう?

安礼崎の海岸です。我が家から車で10分の所です。
画像


実は額田町の隣の新城市に「大海」というところがあります。大海人皇子はこの大海の出身だったのではないか、そして隣村の額田女王と恋をしたのではないでしょうか。そして13歳で妻になった持統天皇にとっても天武天皇は最愛の夫だったのでしょう。夫の出身地を亡くなる前に一度訪ねて見たくて三河湾奥の安礼崎に来たのではないでしょうか。

百人一首の持統天皇です。
画像


須賀神社です。祀神はスサノオノミコトですが、私は大海人皇子の姿を浮かべてしまいます。
画像

大海人皇子です。
画像


神明宮です。祀神はヒルメムチ=ヒミコ=天照大神ですが、こちらは額田女王の姿を思い浮かべてしまいました。
画像

額田女王です。
画像


大海人皇子は東海地方に随分繋がりがあるように思います。私の妄想、如何でしょう。そういえば蒲生野と蒲郡、も何となく関係がありそうです。





昨年3月のブログで安礼の崎のことが載せてあります。よろしかったらですがご覧くださいね。
                    ↓
       http://sukechan.at.webry.info/201103/article_3.html

















月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 48
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い 面白い
かわいい かわいい かわいい
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
オークリー サングラス
蟻子祭りB(俳句会) ひょうすけの写真俳句/ウェブリブログ ...続きを見る
オークリー サングラス
2013/07/03 22:55

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(33件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。
素敵な記事を読ませていただきました。
<実は額田町の隣の新城市に「大海」というところがあります。大海人皇子はこの大海の出身だったのではないか、そして隣村の額田女王と恋をしたのではないでしょうか。そして13歳で妻になった持統天皇にとっても天武天皇は最愛の夫だったのでしょう。夫の出身地を亡くなる前に一度訪ねて見たくて三河湾奥の安礼崎に来たのではないでしょうか。<
このくだりはひょうすけさんの妄想なんですよね。
でも私はそうであって欲しいと思ってしまいんす。
いいえそうに違いありません。
「山あいを今月今日の山車行けり」
この句が好きです。
情景が浮かんできます。素敵です。
ろこ
2012/05/04 13:43
ろこさんへ
お早うございます。はい、そこが私の憶測です。第一額田郡額田町なんていう額田の大きい地名は全国でここだけですし、大海は奥三河の山間にあって海とは全く離れたところなんです。俳句会で額田女王の像を見た時、私と同じ考えの人がいたのだ、と意を強くした次第です。また持統天皇が亡くなる年(702)の前半にこの辺雛な三河湾奥部に来て山越えしているのも不思議ですよね。ろこさんに「きっとそうだ」と言われて大喜びしています。「今月今日」って面白いでしょう?でも写真を見ないとこの句は判ってもらえないでしょうね。ちなみに俳句会では私は全くの無点で恥ずかしい思いをしました。ありがとさんです。
ひょうすけ
2012/05/05 01:43
ひょうすけさんご無沙汰してしまいました。

句会の事前調査からまとめて読ませていただきました。
事前調査のおかげでこの地の祭りの歴史や実際、そして天智天皇と天武天皇。額田王のお話へと・・凄く勉強になりました。
壬申の乱前のこの人間模様は良く歴史小説で取り上げられますが、私も昔はまりましたっけ。永井路子の『美貌の女帝』ではこの時代から持統天皇後の人間模様や後継者争いにへぇ〜っと。その頃はまだひょうすけさんも存じ上げていない頃ですから、額田女王の蒲生野の御狩の有名な歌の地もどんな所か知らずにいました。須賀神社と神明宮のひょうすけさんの解釈とても納得できます。
>山あいを今月今日の山車行けり
万葉ロマンの地でのひょうすけさんの句にはロマンがいっぱい詰まっていますね。
けっこちゃーん
2012/05/06 15:27
額田郡額田町の地名も岡崎市に合併されて消えてしまったのでしょうか?「平成の大合併」がこの辺りでも多くありましたが、個人的には、慣れ親しんだ地名が変わったり消えたりして残念に思う次第です。(ひょうすけさんの記事に関係ないことにふれて、すみません)
古代史は詳しくは分かりませんが、ひょうすけさんのおかげで随分勉強でいましたよ確か、渥美半島の田原の方で、奈良の都へ瓦を送ったという記録か発掘か?などの記事を読んだような記憶があります。額田とは関係ないかも知れませんが・・・。
りりい
2012/05/06 18:18
けっこさーんへ
お早うございます。本当は@ABをほぼ同時に出す予定でしたが3月8日の俳句会の帰りの運転時に眼の異常を感じ、翌日からおかしくなり、市民病院で脳の精密検査をしたり運転免許実技試験をやったり、でBを出すのに1ケ月もかかってしまいました。天智系と天武系の関係、すさまじいですね。天智の娘の持統天皇は最初は天武の側ですが後に天武の皇子達を次々に殺して天智系に戻してしまいます。愛知県や岐阜県からは信長、秀吉、家康が出て天下を取り、京に上ります。同様に壬申の乱で天武は尾張氏等東海勢を率いて天下を取っていますので、天武の出身地は本当はこちらだったのではないかと思いました。後に桓武天皇が天武系9代を皇統から外してしまいますから天武は矢張りよそ者だったのでしょうね。ここに書いた大海人皇子と額田女王の関係はあくまで私の妄想ですので聞き流してくださいね。俳句過分にお褒めくださり顔を赤くしております。
ひょうすけ
2012/05/07 05:01
りりいさんへ
おはようございます。はい、@で述べたように岡崎市で額田郡額田町は消えてしまいました。私もりりいさんと同様残念に思っていますよ。同じように渥美郡も消えてしまいました。お尋ねの件は東大寺の瓦の窯跡ですね。ついこの間まで渥美郡渥美町江比間でしたが今は田原市伊良湖町瓦場で「伊良湖東大寺窯跡」という名称です。ここは豊川用水の終点の「初立ダム」のあるところでとても景色の良いところですよ。この名称で検索されると窯跡や初立ダムの写真が載っていますのでご覧くださいね。
ひょうすけ
2012/05/07 05:22
再びおじゃまします。東大寺の瓦のこと、詳しく教えてくださり、ありがとうございました。瓦の情報の一部分だけが記憶に残っていたのですね。やはり奈良方面と交流があったんですよね。物だけでなく人も。
りりい
2012/05/07 14:39
ひょうすけさんの解説にはかなり納得させられる感です。
山あいを走る山車には趣があり郷愁にかられます。
何処の地域でも年齢の高さは悩みの種でしよう!
この可愛い子供達が後を継いで歴史の一端を担ってくれるといいですね。
まきちゃん
2012/05/07 21:59
目の具合が悪かった由、いかがですか?
お大事になさってください。

横須賀神社、私は全く知りませんでしたが、お祭りと、興味深く
読ませていただきました。
たくさんの写真と俳句も素敵ですね。

どこも若い人がすくなくなって、寂しいことですね。
歴史あるお祭りがいつまでも続いてほしいものですね。
kyabetu
2012/05/07 23:57
りりいさんへ
お早うございます。神島もそうですが大昔はこのあたりは伊勢神宮の直轄地だったそうで関西圏だったから奈良方面とも関係があったのでしょうね。そういえば万葉集の最初に出てくる京の流刑者も伊良湖でしたね。
ひょうすけ
2012/05/08 03:35
まきさんへ
お早うございます。山間の静かな山あいをかすかに笛太鼓ををならしながらゆっくりと進む光景は天平時代さながらで郷愁を誘いました。少子化ながら子供の姿が多かったのは嬉しかったですね。ギシギシという音が山車を引く老人達の骨がなっているような感じでしたよ。
ひょうすけ
2012/05/08 03:44
kyabetuさんへ
お早うございます。ここは須賀神社ですが大須賀も横須賀も須賀→蘇我→スサノオ=出雲系ですね。つまり物部氏と同系の出雲系の神社で九州系の天照系に敗れたことを意味しているのかもしれませんね。結局、物部、蘇我、に続いて出雲系は天武でとどめを止されます。過分におほめくださって穴あらば入りたい心地です。
ひょうすけ
2012/05/08 04:00
俳句会、行事に合わせて行ったりして楽しそうですね〜!200句もあるとは選ぶ方も大変そうです☆妄想と独断と偏見(笑)これこそが研究心を煽りますよね〜!そうでなくっちゃ(笑)kyabetuさんへのコメントではさらに面白い説になってきています♪持統天皇の愛、ワタシもその説に一票です。古来の人は愛が深かったと思います。えじぷとでしたか、ミイラに花束が残ってたりしたこともありましたね。
こりす
2012/05/08 15:22
こりすさんへ
お早うございます。いやぁー独断と偏見、妄想を認めてくださってありがとさんです、何しろ1300年も前のこと、歴史はその時の為政者の都合の良いように書かれていますのでつい色々と裏を考えてしまいます。須賀神社から神明宮、何時も男性から女性への贈り物?でお返しはありません。これはスサノオが天照に降伏した行事かそれとも妻訪いか、ここの場合神明宮はヒルメムチという女性名にしてありますが他の事例では天照大神となっています。天照を12人のお妃のある男性とすればこれは降伏説、になります。男性(元)のひょうすけとしては何時も優しくて美しい「こりすさん」に逢いたいと思っていますので額田女王と大海人皇子説に惹かれてしまうのですが如何でしょう?
ひょうすけ
2012/05/09 02:16
蟻子祭りとは随分盛大なお祭りなのですね!

ひょうすけさん、俳句を詠まれるとは、
素敵なご趣味をお持ちなのですね。

「春日射す子の背に踊る「祭」の字」
お子さん達の法被の字が踊っているようで
将来が楽しみですね♪

ロコ
2012/05/09 19:25
ロコさんへ
お早うございます。この句素敵でしょう?友人のTさんが主宰の特選を取った句なんですよ。私は残念ながら1点も採られませんでした。この祀りは男神の女神への妻訪いの儀式なんでしょうね。でも今は少子化と若者の都市流出の影響で年寄りが主体となり威勢の良さはなく、何となく寂しい祭りでした。今の少子化が続けば日本民族は600年で絶滅すると考えていましたので法被姿の大勢の子供を見た時はとても嬉しかったですね。私の俳句、ひょんなことからやらざるを得ない立場ではじめました。季語は写真で判断してくれ、という訳で「写真俳句」なんですが俳句会では通用せず悪戦苦闘している次第なんですよ。
ひょうすけ
2012/05/10 02:01
猿ぼこちゃん、可愛いですね。
何処でしたか旅先で見掛けましたが、もう忘れています。
岡崎から三河辺りだったのでしょうか?他の地方にもあるかも知れませんね。
額田王から、浅草のり?何とか噺のようですが、今回海苔の勉強までさせて戴きました。額田王の歌からは、少し羞じらう様な微笑ましい歌にとれますが、背景は大変なものだったようですね。
妻を娘を、人質にした時代は戦国時代までつづいていますね。
男性のエゴとしか思われませんが…
額田王に袖を振った大海人皇子、可愛い〜〜(笑い)野守を単純に考えてはいけませんね。額田王の、羞じらいではなかったのですね。怖れと撮ったらいいのでしょうか?歌の読みが随分変わってきますね。
骨肉を争う時代、有間皇子の問題など、万葉集も時代背景を思い乍ら読むと思い白いですね。興味有る楽しいお話、有り難う御座いました。
S子
2012/05/14 12:03
S子さんへ
お早うございます。ソメワケアマノリの記事みていただけましたか。実は阿礼の崎と持統天皇のこと、私の妄想?のことを知ってもらいたくて載せました。額田女王は大海人皇子が手を振ってくれて嬉しかったのですが、天智天皇(野守)が見てやしないかとヒヤヒヤしていたのでしょうね。秀吉は家康が怖かったので一番大事な実母を出していますが天智天皇も大海人皇子が怖くて実娘を二人も出しています。争いを避けるためですので必ずしも男性のエゴではないと思いますよ。あの時代の天皇家の骨肉の争い、すさまじいですね。天智天皇は蘇我入鹿ばかりか有間皇子や他の皇子も殺しており持統天皇も他の天武系の皇子を殺して結局天智系に戻しています。万葉集は楽しいだけではなかったのですね。
ひょうすけ
2012/05/15 09:17
天智天皇と天武天皇が兄弟ではなかったかもしれないとは驚きました。確かにこの時代の事は良く分からないことが多いようですね。だからこそ魅力があるのかもしれません。ひょうすけさんの妄想、独断と偏見の記事がとても面白かったので、もっともっと知りたくなりました。
山間の町のお祭りのお写真は日本の原風景のようですね。この辺りでは見かけに風景で懐かしさを感じました。
うずら
2012/05/16 13:53
うずらさんへ
天智と天武の関係は秀吉と家康の関係だと思います。歴史は時の為政者の都合でねじまげられます。兄弟というのはヤクザの世界でいう「兄弟の盃」ということで実際には天武の方が年上でありまた天智は行方不明で靴の落ちていたところに陵が作られている事実があります。実の弟に二人の実娘を差し出していることなど実に不思議です。また天智系の桓武天皇が天武系の天皇を全て皇統から除いていることも天武が天智の実弟なら考えられないことですよね。私の妄想と言いましたがこのように考えている歴史家は結構おられます。このこと検索されれれば出てきますので一度お試しください。面白いですよ。
ひょうすけ
2012/05/16 19:39
俳句会の準備から蟻子祭、そしてひょうすけさんの歴史話を読ませていただきました。
蟻子祭りは蟻の行列の様子に似ているからなんですね。静かな山間を笛太鼓が鳴り響くと趣があって、俳句をたしなむ方にとっては最高でしょうね。
歴史秘話をひも解くと面白いことは解っていますがそこまで根気がありません。
地名も何か理由があって付けられているのでしょうね。
ひょうすけさんに頼るしかありませんです。よろしく〜お願いします。
南十字星
2012/05/17 16:20
南十字星さんへ
三河湾奥のへんぴな安礼の崎に何故持統天皇が来たのだろうか、というのが私の疑問でした。奥三河の山中にどうして大海というところがあるのだろう?こんなところからひょうすけの妄想がはじまったしだいです。天智が額田大王に対して娘を二人も弟の天武に送るとはどうしても異常ですよね。私は決して兄弟でなく秀吉と家康の関係だったのだろうと思いました。歴史は勝者の都合のよいように書かれているのでついついかんぐってしまいます。でも面白いですよね。
ひょうすけ
2012/05/17 20:35
お早うございます〜♪
これから出かけますので
後ほどお邪魔致します(^_-)-☆
ミモザ
2012/05/18 07:05
ミモザさんへ
お早うございます。昨日も俳句会に出かけましたがこちらは汗が出るくらいの暑さでした。成績は?何時もながらさんざんの出来で落ち込んでいます。
ひょうすけ
2012/05/20 03:41
蟻子祭シリーズ、ゆっくり読ませていただきました。
博学なひょうすけさんに感心しながら
見習わなくてならない事ばかりです。
でも眼のほうはくれぐれもご自愛くださいね。
眼を使わないのが1番いいんでしょうが
ひょうすけさんにはご無理でしょうから(笑)
れに
2012/05/20 14:01
お早うございます〜♪
俳人70名とは大きなイベントだったのですね。
Tさんが特選に選ばれ良かったですね。
ひょうすけさんの俳句も期待しています。
さるぼぼは飛騨高山で買った来ましたが、あの姿が可愛いですね。
天皇家の歴史にもいろいろあったのですね。
額た女王の生涯も気になりますね(*^^)v
ミモザ
2012/05/21 06:59
れにさんへ
お早うございます。ご心配くださりありがとさんです。随分良くなった気がしています。博学??ブログに載せる前に本等で調べて如何にも知っていたかのように書いてしまうインチキ野郎なんですよ。でも小さい字が読めなくなってそれが出来なくなってついついブログから遠くなってしまいます。昨日は金環食を見ることで1日何も出来ずでした。ご返事遅れてしまいゴメンなさいね。
ひょうすけ
2012/05/22 04:46
ミモザさんへ
お早うございます。お忙しい中再度のお越し、ありがとさんです。高山のサルボボをお持ちでしたか。私は全く知らなかったため現地のサルボボの写真が撮ってなかったので残念でした。Tさんは今登り調子で特選が3回程続いており、その度にコーヒーをオゴらせています。天皇家の歴史、凄惨ですね。殺し合いや考えられない近身結婚などが続き、特に天智天皇と天武天皇の関係は不思議が一杯ですね。額田女王のこの和歌は万葉集で一番の人気なんだそうですが、人質の哀しい歌だったのですね。野守が天智のことだったとは知りませんでした。
ひょうすけ
2012/05/22 05:07
おはようございます♪
3回分まとめてコメントしたつもりが勘違いしていたようです(-"-)
目の具合はいかがですか?少し落ち着いたでしょうか。

俳句会がメインなのに蟻子祭りに興味津々です♪
蟻子とは面白いですね蟻の子?地名に関係しているのかな。
 「ギシギシ」と山車曳く老いの骨きしむ
骨身にしみますね〜この町の現状が見えますね。
山車を曳く若者がいないのは寂しいこと。子供たちに託しましょうか。
せんこ
2012/05/31 07:04
せんこさんへ
お早うございます。医者にパソコンを禁止されていましたので来てくださっていたことに気付かず失礼しました。眼は随分良くなったように思います。近じかまたブログを始めてみようと思っています。ご心配いただいてありがとうございました。先日東京の浅草に行ってきましたが人が一杯でびっくり、一方山間のこの地方は閉校が続いており、私と同じくらいの老人も山車を曳いていました。蟻子祭りは静かに山あいを進む様を表した命名のようです。はっぴ姿の子供を見た時は何故か嬉しくなりホッとましたよ。
ひょうすけ
2012/06/04 08:02
ご無沙汰しております。俳句があって楽しく読ませていただきましたが、最後の独断もまたまた愉快でしたね。昔そのあたりのことを「明日香風」って本で読んだことを思い出しました。ひょうすけさんのようにゆったりできる日がくるといいな。それを楽しみにもう一度読ませていただきましょう。ギシギシと・・・老骨って思わず膝をたたいてしまいましたよ。
ののはな
2012/06/06 14:13
ののはなさんへ
お早うございます。医者にパソコンを止めるように言われていますので皆様を訪ねることを止め、ののはなさんにもご無沙汰してしまいました。昨年3月のソメワケノリの記事で持統天皇の山越えに興味があるとコメントくださいましたことを思い出しながら私の「妄想」を載せた次第です。眼、随分良くなったのでまたそろブログを始めるつもりでいますので、その時はよろしく。最近物忘れが激しく、「歳」を痛感しております。
ひょうすけ
2012/06/07 03:53
蟻に因んで短歌一首

仲良しのグループは集う蟻群れて足の踏み場に困る大地だ
春日
2015/09/18 20:06

コメントする help

ニックネーム
本 文
蟻子祭りB(俳句会) ひょうすけの写真俳句/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる