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zoom RSS 冤罪を晴らして!

<<   作成日時 : 2008/11/24 07:44   >>

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この人誰か知っている? 平成教育委員会の先生じゃない? あぁ今度大変な賞をもらった人・・そうそう、北野タケシさんだよね。でもこの写真、人形だよね。・・・孫たちとの会話です。


この人、茶人で、折り紙の家元でもあり、また自作の素晴しい和歌が見事な筆跡で残っている才能豊かな文化人です。重要な仕事もしており、また地元でも大変親しまれ尊敬されておりました。若し現代だったら北野タケシ監督をも凌ぐほどの文化人、才人だったことでしょう。その人がある事件が元で日本の三悪人にされてしまいました。

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この人の折り紙です。折り紙の家元でした。
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この人の茶道具です。一流の茶人でした。
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この人にゆかりのあるお寺です。華蔵寺です。
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この人のお墓です。華蔵寺にあります。
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この人が一体どんな悪いことをしたのでしょうか。言われていることは@賄賂の金額が少なかったので仕事で苛めをした。A美しい妻女に懸想した。B塩の作り方を盗んで損害を与えた。C妻の実家の当主を殺して自分の子を当主にした、といったことなどです。私が子供の頃は「忠君愛国」の時代でしたので私もこの人を本当に極悪非道の人間と思っていましたが・・・。仕事の関係でこの人の領地だったところへ行くようになって、この人が素晴しい仕事をしていて悪人どころか凄い文化人であり、名君で皆から慕われていた人だったということがわかりました。そして@〜Cは全てでっち上げの冤罪だったのです。

もうお分かりですね。12月になるとどこかの局で放送する「忠臣蔵」、その悪役の「吉良上野介」が「この人」なんです。
今までの写真は全てこの本からの引用です。筆者の鈴木悦道さんは花岳寺の住職です。花岳寺は播州赤穂に浅野家の菩提寺として1645年に建てられたお寺ですが同じ名前の花岳寺を何と吉良上野介が姉を弔うために吉良町に1684年に建てており、鈴木さんはこちらの住職さんです。浅野家と吉良家、不思議な因縁ですね。



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良くご存知と思いますが事件のあらましを御覧いただきます。

@元禄14年1月、将軍の年頭挨拶を将軍の名代として吉良上野介が朝廷に伝えた。
A同3月11日勅使、院使が答礼のため下降した。接待役吉良上野介、ご馳走役浅野内匠守
B同3月14日勅使別れの挨拶、将軍謁見直前に刃傷事件発生。

高家筆頭、61歳の吉良は礼法のベテランで経験の浅い31歳の浅野の指導役でもあった。当日浅野は廊下を通りかかった吉良の背後からいきなり切りつけ吉良が振り返ったところを更に一太刀あびせた。将軍は激怒し浅野は即日切腹。原因は吉良は勿論家老の大石も他の家臣も誰一人思いあたることはなかった。

「浅野内匠守殿中刃傷事件」で検索するとあらましこう書いてあります。どれをみても吉良が悪いとは述べられておりません。殿中で刀に手をかければそれだけで切腹、お家断絶、と決められており、家臣は全て路頭に迷うことになるのは百も承知の筈なのに何故??

そこで取り沙汰されたのが最初の@〜Cなんです。そうかどうか色々調べて検証してみます。

@賄賂が少なかったので浅野をいじめた。
 この場合は賄賂でなく、あくまで謝礼であった。また接待役は吉良であり、浅野の失態は吉良の失態にもなるので厳しい指導はあったかもしれないがいじめはなかった。

A浅野の美しい妻女に懸想し、また男色で浅野家臣の美男を所望しことわられた。
 当時大名の奥方と顔を会わせるなどということは不可能。「男色」にいたっては何をかいわんや、である。

B塩の作り方を盗んだ。
 これは寧ろ逆である。吉良の本拠の西尾はもともと「煮潮」で古くから製塩をしており、吉良の塩は「饗庭塩」(アエバ塩)として有名であった。浅野家が海の無い常陸国笠間から播州赤穂へ国替えになった時吉良家に頼んで製塩の技術を教わったが、その後の技術向上で赤穂の塩が饗庭塩を江戸から駆逐してしまいホゾを噛んだのはむしろ吉良の方であった。

C上杉家の当主を殺した。
 吉良上野介の奥方は亡くなった上杉家当主の妹であった。当主が亡くなった時上杉家には子供が無く、一旦30万石を返上し、急遽吉良家の2歳の子を養子にして新たに15万石で上杉家を再興するという形で断絶の危機を乗り切ったのであり、間違いなく上杉家の恩人であった。

とにかく吉良上野介はこれから大事な客人を迎えて厳粛な儀式が始まるという直前にいきなり背後から切りつけられた被害者だったのです。誰も訳がわからない事件だったのです。

ここからは探偵ひょうすけの推理です。

浅野内匠守が切りつけた時「この間の遺恨、覚えたるかっ!」と叫んでいます。遺恨とは??これについてはまだ誰も言及していませんが、ひょうすけには一つ思いあたることがあります。それはこの21年前の延宝8年6月26日芝増上寺で4代将軍家綱の法要が行われた時に内藤和泉守が永井信濃守を殺した刃傷事件があり、内藤は切腹お家断絶という事件がありました。そのことを吉良上野介は日誌に書いています。多分高家筆頭で礼法指南の吉良もその法要に携わっていたのでしょうが、例えば内藤に不利なことを吉良が証言したのではないか?ちなみに内藤和泉守は浅野内匠守の母方の従兄弟であり、内藤家取り潰しの悲惨だったこと、その時も吉良が関係していたこと(推測)が一瞬頭によぎって惑乱してしまったのではないか、と考えるのですがいかがでしょう。

 ところで赤穂浪士の討ち入りですが、前日の吉良家では茶会が開かれていました。吉良上野介はあくまで被害者であり、即日切腹をさせたのは幕府ですから、吉良はまさか自分が討ち入りされるとは思っていなかったのでしょう。言うならば真珠湾攻撃をされたアメリカ海軍みたいに一方的に打ちのめされてしまいました。哀れなのは上杉家から来た養子の義周で17歳でナギナタで闘ったが、祖父で義父の上野介が討たれたのに、子が生き残ったのはけしからんという理由で長野諏訪藩に軟禁され過酷な待遇で22歳で病没、吉良家は断絶・・何ともひどい幕府の仕打ちです。

この事件が若し現代に起こっていたらどうでしょう?

 最近埼玉県在住の元厚生省事務次官の夫婦が「ペットの仇」で殺害されました。更に東京在住のこれまた厚生省事務次官だった人の奥さんが刺されましたが、犯人からすればこちらは討ち洩らしたことになります。犯人が死刑になったとしてその子分達が親分の思いをかなえようと後年その夫婦や他の事務次官達を襲ったとしたら・・・いかに年金問題で怒り心頭の貴方でもその子分達を非難することでしょう。


吉良上野介の300年間に亘る冤罪、そろそろ晴らしていただけませんか。


今でも感謝されている吉良上野介が作った黄金堤を訪ねてきました。
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拡大してお読みください。
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一夜で作った堤防にしては大変立派でした。
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クリックし拡大してお読みください。
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赤馬に乗って領内を巡視する吉良候です。
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尾崎史郎の「吉良の人」の一節です。馬上の吉良侯の下の碑文です。拡大して御覧くださいね。
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吉良家には西条吉良と東条吉良がありました。その東条城跡です。
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東条城址にあった尾崎史郎の「吉良の男」の一節です。(拡大してお読みください)

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(続)
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蒲郡市に近いところに吉良藩で活躍した清水一学の生誕地の標柱がありました。
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  「北野タケシの前世は吉良上野介なり」   我が家の巫女舞Mちゃんのご託宣です。

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 もう一度最初の写真をご覧ください。ホント、北野タケシさんにソックリですね。吉良上野介の生まれ代わりのタケシさ   んが今年の「忠臣蔵」で「北野上野介」を演じてくれれば冤罪が一挙に晴れるかもしれませんね。





   










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コメント(51件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは♪
今日もひょうすけさんの推理劇場に飲み込まれて読んでしまいました。
全くもって歴史は苦手(だけ?)で、ただただへ〜そうなんだ。そうだったのかと頷くのみですがなるほど歴史は黙って語ってくれませんものね。。
真実は様々な角度からの検証が必要ですね。
ひょうすけさんの推察が当たっているような気もしてきます。
冤罪がはびこる社会だからありうることですね。
暮に放送される時はこの角度から考察しながら見てみます(笑)
コケコ
2008/11/24 18:06
ひょうすけさん

こんばんは。
生物学だけでなく、歴史にもお詳しいのですね。
吉良上野介のことは、浅野を苛めた悪人とずっと思っていました。
大変な文化人だったとのこと、意外でした。
我々が知っている歴史はほんの一部であって、真実の大部分は永遠の彼方にあるのかもしれないですね。
面白かったです。
よしりん
2008/11/24 21:28
コケコさんへ
お早うございます。今月は忙しくて久しぶりに載せました。何時も虫とかしずくとかですのでたまには別のことを取り上げようと思った次第です。冤罪、結構ありますよね。大体歴史は勝者の記録ですから、本当は敗者の方が正しいということも多いのですね。「日本軍は侵略ではない」という空軍幕僚長の言、あれは本当です。黒人が大統領になる今の時代だったら日本は戦争しなかったのですね。日本は敗者だから本当のことは時間がたたないといえないのです。戦時中「吉良上野介は立派だ」といったら警察に連れていかれましたよ。
ひょうすけ
2008/11/25 01:56
よしりんさんへ
お早うございます。忠臣蔵は「忠君愛国」の時代ならともかく今の時代でもテレビで放送されるのは不思議ですね。いわゆるマスコミの害の最たるものです。吉良は高家筆頭で朝廷と幕府の儀礼面を司り、将軍家の名代として重要な立場の人でした。人格高潔な人でないと務まらない部署だったのですね。最近訳のわからない殺人事件が多いですが、あの事件はどうやらその類だったようです。現天皇が私の職場にこられた時の警備の凄さはすさまじいもので私どももピリピリしていましたが、その極度の緊張感が
浅野内匠守の刃傷になったのではないかとその時思いましたね。
ひょうすけ
2008/11/25 02:21
すご〜〜〜く面白かったです!ビバ探偵ひょうすけさま♪
忠臣蔵は義理人情?面白く当時の人が色はつけたろうと
思いましたが、いくらなんでもここまでとはひどい話ですね。
しかも尊敬されてた人だなんて…冤罪、はらしてあげたいですね。
折り紙にも家元があるんですね。その折り紙も素敵です。
それにほんと〜〜にタケシに似てる!笑っちゃいました!
こりす
2008/11/25 05:20
お早う御座います〜♪
旅から帰ってきました。
吉良上野介の話はいろいろな観点から取り上げられていますが
読んでいると、ひょうすけさんの説得力が正しいように
思われてなりません。
しかし、たけしさんによく似ている顔ですね。
又、時間をかけて読み直してみます(^^♪
ミモザ
2008/11/25 07:39
こりすさんへ
お早うございます。こんな記事ですので誰も見てくれないと思っていました。面白いと言ってくださって嬉しいです。「ペットのあだ討ち」事件で急遽「忠臣蔵」を取り上げてみました。北野タケシそっくりと言ったのは孫娘のMちゃんです。子供の感性って面白いですね。
ひょうすけ
2008/11/25 07:52
ミモザさんへ
お帰りなさい。お待ちしていましたよ。ミモザさんが来てくださるととても嬉しいです。色々な本を読みましたが、最近の本は流石に吉良に同情的ですね。「ペットのあだ討ち」されたのではたまりませんね。それで急遽「忠臣蔵」を取り上げました。忠君愛国時代ならともかく今の世に放送されるのは何故でしょう?
ひょうすけ
2008/11/25 08:03
そうですね〜〜そろそろ吉良様の復権を図るドラマでも出来ないでしょうかね。
美濃の斎藤道三・仙台の原田甲斐・・田沼意次だって、復権しているのですからね〜〜
蝸牛
2008/11/25 11:27
蝸牛さんへ
3悪人というのは明知光秀、原田甲斐、と吉良上野介だと思いましたが田沼意次もでしたか。その中でも毎年放送されて一番ひどいのが吉良ですね。ご賛同いただきありがとさんです。斉藤道三は悪人と思っている人はいないのではありませんか?
ひょうすけ
2008/11/25 13:21
ひょうすけさん、こんばんは。
我々は勝者の書いた歴史を学んで育っているので、善人悪人で語ると正当な評価ができませんからね(と、大学で習った記憶があります)。
忠臣蔵の記事に関しては、大体が討ち入りが終わってから書かれたものが多いので、浅野家びいきになるのでしょう。だからこそ、歴史は難しいし、面白いんですけどね。
かねんころの手
2008/11/25 20:31
ひょうすけさま
斎藤道三は、蝮の道三と呼ばれて岐阜でもかつては、嫌われ者だったらしいです。<岐阜祭り>も昔は<信長祭り>と呼ばれていたのですが、近年春・秋二度イベントをするようになって<道三祭り>が加わったようです。NHKの大河ドラマで復権したようですよ!
蝸牛
2008/11/25 21:34
こんばんは!
忠臣蔵を見る前に、すごいドラマを見た感じです。
ひょうすけ探偵の見事な推理に惹き込まれました!
この推理、当たってる!気がしてまいりました・・・
ミセスマンデル
2008/11/25 23:29
かねんころの手さんへ
本当に歴史は勝者の記録ですね。航空幕僚長の言、私は正しいと思っています。いかんせん日本は敗戦国、今はまだ口にしてはいけなかったのですね。でも吉良上野介はもう300年経っていますから、そろそろ冤罪をはらすべきでは・・と思っています。
ひょうすけ
2008/11/26 02:35
蝸牛さんへ
蝮の道三と言ったのは勝者の信長がつけたのでしょうね。確かに主家を乗っ取りましたが、先君の子を後継者にしたのですから多少は良心があったように思います。
ひょうすけ
2008/11/26 02:45
ミセスマンデルさんへ
お早うございます。こんな記事ですので来ていただけないと思っていました。この記事をとりあげたのはペットの仇討ちで元厚生省事務次官夫妻の殺人があったからです。21年前の従兄弟の切腹と30年前のペット殺し、それが原因では?と考えたからです。吉良上野介は厚生省事務次官と同じ立場、それが一方は同情され、一方は悪役、かわいそうですね。
ひょうすけ
2008/11/26 02:56
おはようございます
12月になると「忠臣蔵」が取り上げられますね
吉良上野介が折り紙の家元とは、へぇ〜って初めて知りました。
誰かに似てるって北野タケシさんに・・・ホントだ
もし?タケシさんが上野介だったら展開が歴史が全然変わっていたのかも。。。
きょんたん
2008/11/26 10:11
久しぶりにお便りします。忠臣蔵の考察ひょうすけさんらしく理詰めで説得力があります。ただもう一つ付け加えてもらいたかったことがあります。それは「浅野たくみのかみ」の社会性の欠如です。
今日会社で上司がいやがらせをしたからといって、上司を殴り、傷つけたらまず首になるでしょう。そうなったら家にいる女房、子供をどうして食べさせて云ったらいいでしょうか。そう考えたら「耐え難きを耐え」るのが当主の責任です。そんなことは一切考えず刃傷沙汰を起こした「たくみのかみ」の幼稚性こそ本当の原因ではないでしょうか。
以上毎日耐えている男の体験から申しあげました。
Hより
2008/11/26 12:23
きょんたんさんへ
そうでしょう。北野タケシさんに良く似ている、じゃなかった、北野タケシが吉良さんにそっくりですよね。とにかく吉良上野介は幕府の対朝廷の対応を一っ手に取り仕切った人ですので、高潔な人格の人だった人に間違いありません。今でも犬の仇討ちで人殺しをする人がいるのですから、浅野は自分でも知らぬうちに切りつけていたのでしょうね。
ひょうすけ
2008/11/26 12:27
Hさんへ
お久しぶりです。黄金堤はHさんをお見舞いしたあと寄りました。仰るとおりですね。34年前の殺された犬の仇討ちをした人、全く理解できませんね。浅野は一時的にそういう状態になったとしか考えられません。浅野家を継いで何十年間責任を感じていたのがある日突然爆発したのだろうと好意的?に解釈しています。尾崎史郎に次いで兄上様に是非冤罪を晴らす小説をお願いしてくださいね。
ひょうすけ
2008/11/26 12:42
もう30年以上も前になりますが 高校の歴史の先生
が 吉良上野介は文化人で名君であったと熱弁してい
ました。 勝者の語る歴史ではなく本質・真実を探る
ことの大切さを熱く語ってくださる先生でした。
その先生からも 何故 浅野は吉良に切りつけたのか?
についてまでは教えられませんでした。
ひょうすけ探偵の推理には 成程〜(ーー)と頷きました。
同じ愛知県人として吉良の殿様の冤罪は是非はらしてもら
いたいです。
あゆたま
2008/11/26 15:09
あゆたまさんへ
そうですか。素晴しい先生ですね。歴史は勝者の理屈ですから航空幕僚長の言はある面で正しいのですが敗戦国の意見はもう少し時間をかけないと
わかってもらえないのですね。今度のペットが殺された時犯人は小学生、浅野内匠守も従兄弟の切腹とお家断絶は10歳の少年の時でした。共通点ありですね。あゆたまさんに賛同していただいて嬉しいです。
ひょうすけ
2008/11/26 17:46
こんばんは。今までは唯、漠然と“こうなんだ”とドラマを
見ていましたが、詳しくわかりました。有難うございます。
ちなみに長男は12月14日が誕生日です。
茶々
2008/11/26 21:51
こんばんは。
大変いい勉強をさせて頂きました。
私の知っている忠臣蔵の大義名分は喧嘩両成敗に反する浅野内匠頭、切腹の判定が江戸町民の反感を買い、従って、赤穂四十七士の同情を惹いた・・・というものでした。吉良上野介がなぜ内匠頭に・・・というのは、いろんな論があって定かではないのですね。
上杉家存続に一役買って頂いた吉良家です。名誉回復がそろそろ図られてもいい頃ですね。
マーメイド
2008/11/26 22:06
なぞなぞみたいでおもしろかった。でも吉良上野介だったとは、びっくり。やはり歴史ってねつ造なんですね。「事実なんてない」って言ったニーチェの言葉今も真実なり。嘘も千回言えば真実かな。といってあぱと共謀したのかな・・・かの人は・・・ひょうすけさんの歴史紀行文はいろいろ考えさせてくれます
ののはな
2008/11/26 22:39
今晩は。
書き出しといい、推理小説風の運び方といいお見事ですね。
ついつい引きずり込まれました。
ひょうすけさんの推察・・・う〜〜〜ん
ありかなあ?
冤罪がはびこる社会だからこそ
ありうることでしょうか?
現代で生きたら「浅野たくみのかみ」この上なく生きにくかったでしょうね。自分本位なお方だと思うのは行き過ぎかしら?
ろこ
2008/11/26 23:50
茶々さんへ
お早うございます。ご長男の誕生日でしたか。おめでとうございます。忠臣蔵は本当は切腹を即決した幕府、将軍への怒りだったのでしょうね。相手が強すぎるので弱い吉良上野介をやっつけたってところでしょうね。
ひょうすけ
2008/11/27 04:22
マーメイドさんへ
お早うございます。仰るとおりです。喧嘩両成敗の筈、だったのですね。ところが勅使を迎える直前の一番緊張している時、だったのです。喧嘩している時間はなかった時なんですね。実は私の職場に天皇皇后をお迎えしたことがありましたが、到着される直前のあの緊張感、ビリビリした空気は凄いもので、担当者は気が変になりました。自分の経験から気の弱い浅野内匠守はそれにたえられなかったのでは、と思った次第です。
ひょうすけ
2008/11/27 04:39
ののはなさんへ
お早うございます。歴史は勝者の記録、弱者の立場は載りませんね。しかし忠臣蔵の吉良はマスコミのでっち上げです。今度のペット仇討ち事件、吉良は言うならば厚生省元事務次官の立場です。可哀想ですね。
ひょうすけ
2008/11/27 04:47
ろこさんへ
お早うございます。お褒めいただきありがとうございます。今度のペット仇討ち事件、34年前に犬が殺された時犯人は小学生でした。また従兄弟の内藤和泉守が21年前切腹した時浅野内匠守は10歳の多感な少年、両者に共通点があると思いました。殿中での刃傷は切腹、お家断絶で家臣は路頭に迷うことは31歳まで藩主をしたのですから百も承知の筈、これはもうあまりの緊張感で惑乱したとしか考えられません。浅野が自分勝手で幼稚な殿様だったという人もいますが、私は病気だった、というよりも気が弱かった人だったと考えています。
ひょうすけ
2008/11/27 05:09
こんばんは。大変興味深く読ませて頂きました。歴史にはあまり詳しくなく、何とコメントして良いかとウロウロしてしまい遅くなりました^^;「忠臣蔵」は年末近くになると良くテレビ放映されますが、キチンと観た事がありません(恥)。今年はひょうすけさんの記事のお陰で「吉良上野介」に注目して是非視聴したいと思いました^^
sora
2008/11/27 21:16
こんばんは。
吉良上野介=悪人のイメージが強いですね。
それは水戸黄門が天下の副将軍でなかったと同じということになります。
水戸光圀公が生きていた時代では家綱の後見役である家光の異母弟の保科正之公が兄である家光公の遺言で後見役に指名された訳ですから実際の副将軍であったでしょう。それが戊辰戦争で歴史から消えているのが現状ですね。
高家筆頭の吉良上野介は悪人ではなかったと思います。
浅野内匠守は接待役の経験があるにも関わらず、礼儀を怠ったと思いますね。
それに上杉家当主を殺したというのはまさしくありえないでしょう。
何故、その前に保科正之公を出したかというと上杉3代藩主:上杉綱勝の正室として嫁いでいるのです。その生母であるお万の方が間違って娘を毒殺してしまったのですから、綱勝公は世継ぎがいないまま亡くなったために正之公が本来御家御取り潰しから30万石から15万石に減封して御家存続をした訳です。そこで綱勝公の妹が吉良義央の嫁いだ経緯でその子を上杉4代当主として綱憲を迎え御家存続させた経緯がありますからありえない話ですね。。。
Tomo
2008/11/27 22:34
こんばんは。
ご無沙汰をしています・・。
折り紙の家元で茶人でもあり、北野タケシ先生に似ている方は?
吉良上野介だったのですね。
忠臣蔵は赤穂浪士と、吉良上野介ですね。
ひょうすけ探偵の推理は、いつも勉強させていただきます。
お孫さんの巫女舞、可愛いですね

2008/11/28 00:33
soraさんへ
お早うございます。ようこそお出でくださいました。これからもよろしく。soraさんの好きな空でなくて「吉良上野介」でゴメンなさい。申し訳ありませんが08,10,02ヨット競技2」を御覧いただけませんか。当地の夕焼けの空が載せてあります。私の一番最初のブログも日本海の夕陽でした。天気の良い日は毎日朝日を拝んでいるひょうすけです。
ひょうすけ
2008/11/28 02:36
Tomoさんへ
お早うございます。ようこそお出でくださいました。これからもよろしくお付き合いくださいね。そうですか、毒殺事件はあるにはあったのですね。知りませんでした。保科家から養子を、という運動があったのを保科家が断ったとは書いてあったのですが、そんな経緯があったのですね。勉強させていただきました。
ひょうすけ
2008/11/28 03:07
杏さんへ
お早うございます。お久しぶりです。折角きていただいたのに吉良上野介でごめんなさい。内容が片苦しいので最後に孫娘の写真を載せてしまいました。私がこの本を見ていたら「この人タケシさん?」と聞いたことから巫女舞の写真を載せて巫女の託宣、とふざけてしまいました。一緒に踊っている子がバレーをやっており、その子に誘われて踊ったそうです。可愛いと言ってくださって喜んでいます。
ひょうすけ
2008/11/28 03:18
本当に北野タケシさんは吉良上野介さんに似ていますね(^^♪

私の住んでいる兵庫県(流石にこちらでは吉良方の人は思い当たりませんが)では「忠臣蔵」にまつわる人と言えば萱野三平。
萱野三平邸として住まいも保存されています。
そして大内蔵之助の奥方りくが離縁されて帰った里が兵庫県豊岡ですからそれ程遠いところではありません。

Mちゃんの巫女舞 立派な神楽殿でお上手に愛らしく舞っておいでですね
Topi
2008/11/28 15:31
ひょうすけさん お久しぶりになってしまいました。
(只今、主人にパソコンを占領されており、争奪戦の毎日です。トホホ・・)
今夜はゆっくり、じっくり拝見させていただきました。いつもながら楽しく、解り易い解説に感謝、感謝です。
吉良上野介の人格が裏に語られていることは最近知りました。忠臣蔵はお芝居のネタで回を重ねる度にオーバーに悪役にされて来たとの事・・とは言え、詳しく上野介の“人となり”等は知り得ませんでしたが、この度の
ひょうすけさんのレポートで合点がゆきました。
しかし、いつの世でも狂信的なテロ行為は在るものなんですね?思い込んだら人の意見など耳も貸さない…「正義の旗」を掲げて自己犠牲ですもの絶句してしまいます。
仰るとおり、北野たけしさんに良く似ていますね〜(笑)
tellme
2008/11/28 23:53
Topiさんへ
お早うございます。兵庫県にお住まいのTopiさんには不愉快な記事でごめんなさい。実は赤穂市と吉良町は今は親しく交流しています。同じ花岳寺どうしでの交流もあるようです。戦時中赤穂の連隊が行方も知らされずに本土決戦用で配属された先が何と愛知県の吉良町、そこで起こったのが東南海地震と三河地震です。その時何千人もの人が亡くなりましたが吉良町の人々は赤穂の連隊の兵隊さんに大勢助けられ大変感謝しました。どちらにしても吉良家も浅野家もお家断絶、恨むべきは幕府だったのですね。
ひょうすけ
2008/11/29 07:34
tellmeさんへ
お早うございます。こんどの「ペット仇討ち事件」小学生の時の恨みですね。従兄弟の内藤和泉守が切腹しお家断絶になったのも浅野内匠守が10歳の時です。緊張のあまりそのことが頭をよぎって気がついたら切りつけていた、と考えています。巷間言われているような「浅野」の幼児性とか病気だったとかではなかったのではないかと私は解釈しています。
ひょうすけ
2008/11/29 07:48
吉良上野介が、実際は人格者であったというお話は有名ですね
それと、明智光秀もその娘の細川がラシャ夫人ともどもに人格者だということですね
昔も今も、政治を司る方々の思惑やら、なにやらあったんでしょうか〜〜

タケシさんは吉良のお殿様の生まれ代わり〜〜ですか
ふむふむ・・・
風子
2008/11/29 09:55
風子さんへ
歴史は勝者の記録ですから光秀は豊臣秀吉に悪者にされ、秀吉は徳川に、徳川は明治政府に低い評価されていますね。吉良の場合はいわゆるマスコミによって不当に悪者にされましたが本当は幕府に対する抗議だったのでしょう。北野上野介が冤罪を晴らしてくれると良いのですがね。
ひょうすけ
2008/11/29 12:07
こんばんは♪

今夜のニュースでラグナ蒲郡のイルミネーションを
報道してましたよぉ♪
とっても綺麗でした(^-^)
ひょうすけさんはお近くだから
キット目の前で見る事ができるのでしょうね♪
かみふうせん
2008/11/29 19:35
かみふうせんさんへ
お早うございます。はい、見ております。クラス会でラグーナを案内した時今年の「絵手紙展」が設置されていましたので、夜行ってきました。絵手紙は夜見ると素晴しいですよ。よろしかったらですが「07,12,10ラグーナの夜」をごらんください。昨年のイルミネーションが載せてあります。
ひょうすけ
2008/11/30 03:03
すでにひょうすけさまはご覧になったかとも思いながら 
でもお知らせせずにはいられなくて・・・。

アサギマダラに魅せられて〜追跡なぞのチョウ1500キロ
NHK総合「特集ドキュメントにっぽんの現場」

本放送予定:総合テレビ 12月13日(土)午後 10:25〜10:54
再放送予定:総合テレビ 12月19日(金)午前 3:40〜(木曜深夜)


Topi
2008/12/01 15:11
Topiさんへ
お知らせくださりありがとうございました。12月3日必ず見ます。NHKほどではありませんが蒲郡市農協が奇人変人で蝶に取り付かれた男ひょうすけを12月号に載せてくれました。次回にまたアサギマダラを載せますのでご覧くださいね。
ひょうすけ
2008/12/01 20:26
たいへん 興味しんしんで読ませていただきました。
私たちが知らない 吉良さんの一面が分かってよかったです。
テレビではどうしても悪役で なんだかかわいそうな気がしました。
巫女舞のMちゃん かわいいですね。
う〜ん それにしてもタケシさんに似てるのね〜。
香り草
2008/12/11 08:02
香り草さんへ
歴史は勝者の歴史ですが、この場合は本当は幕府への抗議だったのですね。皇室対応の役目ですから人格高潔な人でなければ勤まらない役だったのですが、幕府の罪を一身に受けた感じです。尾崎史郎は随分前から吉良善人説でしたが世間では今持って悪役ですね。たけしそっくりと言ったのはMちゃんです。子供の感性ってすごいですね。可愛いと言ってくださってよろこんでいます。
ひょうすけ
2008/12/11 21:05
今どきの世間体にヤバイおじさん達も身内の話を聞けば「人格者」であることは多い(?)のを見ても分かるように「身内の話」を「世間体」に=としてはいけない部分があると思う。
 冤罪と言うなら、今どきの犯罪者の半分は冤罪になりそう(ちょっと言い過ぎか)。
 対外的に「人格者」かどうかは疑問(?)である。
若い(田舎者の)浅野に対しての指導方法に問題があったのだろうと考えられる。
 今どきでも学校や職場で「教育」ととるか「いじめ」ととるか「指導方法」の違いかも知れない。
 「教える側」と「教えられる側」のギャップ、スタートにする基礎が同じでなければ「教育」が「いじめ」と取られてもしようがないのでは?
ひこうちゅうねん
2009/03/01 23:18
ひこうちゅうねんさんへ
お早うございます。そうですね。浅野家をつぶしてまでも切りつけるからには余程のことがあったと考えるのが普通ですね。でも切腹を命じたのは幕府ですから恨むなら幕府を恨むべきと私は考えます。
ひょうすけ
2009/03/02 05:47
浅野家の当主が若かったのとやはり田舎者だったから、考えが浅かったのだとしか言いようがありませんね。
浅野家が大石内蔵助だったらこんな事にはなっていなかったでしょう。
 ひょうすけさん、今回はいろいろ勉強させていただきましてありがとうございました。
 吉良上野介の兄弟子の山田宗徧なる人物をもっと知りたくなりました。
暇つぶしに久々に図書館に出かけてみますか?
ひこうちゅうねん
2009/03/02 09:39

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冤罪を晴らして! ひょうすけの写真俳句/BIGLOBEウェブリブログ
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